コロナをきっかけに都会から地方に移住する方が増えていると様々なメディアで言われていますが、実は"移住関心層"の65%はコロナ禍になる前から移住に関心があるけれど、一歩を踏み出せてない人たち!
不安要素は何だろう?移住した人はその不安要素を本当に解決できている?
実際に佐賀に移住して、生活を送る佐賀在住のエディターやEDITORS SAGAに縁がある"移住の先輩"に当時の不安を解消するために実践したことなどをインタビューし、紹介する『移住ムズムズタイムズ編集部』。
第4回目は、有田町で『NPO法人灯す屋』の代表理事を務める佐々木元康さんをご紹介します。
ボランティア活動も移住のきっかけに。
埼玉県にある製薬会社で研究員をしていた佐々木さん。ほとんど毎日、研究室でフラスコを振り混ぜたり、実験データを解析したり、今とはまったく違う仕事に取り組んでいました。
しかし、これから子育てをしていくことを考えた時に、都会の地域コミュニティが子どもにとって暮らし辛そう、不自由そう、そして何より自分たちにとっても、少し息苦しさを感じていたそうです。
そんな中で2011年に東北地方を襲った東日本大震災でのボランティアチームの立上げと運営の経験が移住のきっかけの一つになりました。
当時、東北復興支援のボランティアチームを結成し、そのリーダーを務めていました。甚大な被害が出た中、現地の人たちの前向きで『復興させるぞ!』という想いを間近で感じ、感銘を受けたことで、自分も故郷に貢献したいという想いが芽生えました。そしてチームリーダーを経験したことで、自分も故郷で何かできることがあるんじゃないかと自信が湧きました」と、佐々木さん。東北の人々の姿に背中を押されたと懐かしそうに目を細めます。
「正直、心のどこかで都会の生活はもう十分かなという想いがありました。妻の後押しもあり、『地域おこし協力隊』になることを決意しました」。
様々な地域に出ている『地域おこし協力隊』の情報を探し始めて半年。ようやく故郷である有田町の『地域おこし協力隊』の募集を発見。その日に履歴書を書き上げ、即日投函したそうです。
やりたいと思ったことがカタチに。得意が仕事に。
「これまでの研究やボランティアで培ってきた経験を活かしつつ、自分に何か出来ることを価値として提供したいと考えました。あとは、どんな世界になっても生きていける力を付けたい!って思ったかな」。
自身が"物事を企画すること"や"人を集めて繋ぐこと"が得意だと気付き、一つでも多くのできることを見つけ、誰かが何かする時のサポートをしたいと考えたそうです。
今の仕事では、例えば"物事のPDCAを考えること"など、研究員としてやってきたことが活かせていると佐々木さんは言います。
また、移住して日常生活で大きく変わったことについて、佐々木さんは"日々のストレス"と話します。「やりたいことや自分で"やろう!"って決めたことをできてる。やりたくないことはしなくても良くなったね。もちろん仕事だからやらなくてはいけないことはあるけど(笑)。やりたいと思ったことが形になって、仲間たちとさらに面白いことができるようになったかな」と佐々木さん。
代表理事を務める『NPO法人灯す屋』は、空き家・空き店舗の活用と移住・定住の支援をベースに、多様な切り口で地域を元気にするまちづくり団体。有田町にクリエイティブな人達が集まり、今まで以上にワクワクする場所になるように活動されています。
薬剤から、"場づくり"へと実験対象を変え、佐々木さんの試行錯誤は続きます。
色んな所に行ってみて、居心地がいいと思う場所に住むのがいい。
県外や町外から来る人たちが地元の人たちと関わることに初めは壁を感じると思う。しかし、その壁の先には、そのまちの面白さや魅力、様々な感性を持った人たちとの出会いがあります、と佐々木さんは言います。
「"移住"という言葉は少し重たく感じると思うんです。もっと気軽に構えてもいいんじゃないかな。長い目で見て、色んな所に行ってみて、居心地がいいとか戻って懐かしくなる場所に自然に住んでみたらいいんだと思います」。
佐々木さんにとって居心地のいい場所、有田町での佐々木さんの"場づくりの実験"は続いていきます。
プロフィール:佐々木 元康(ささき もとやす)
有田町出身。
大学進学のため上京し、製薬会社へ就職。2015年『有田町地域おこし協力隊』としてUターンする。2018年より特定非営利活動法人『灯す屋』の代表理事を務める。空き家・空き店舗の活用と移住・定住の支援を活動の柱に、街なかマルシェ『うちやま百貨店』や『MEETUP!SAGA』などのイベントも手掛ける。
EDITORS SAGA編集部 相馬