インターハイや国体などのスポーツ大会はもちろんのこと、美術展やコンサート、演劇など、幅広い用途で使われてきた市村記念体育館。佐賀県佐賀市に位置するこの体育館には、佐賀県民なら訪れた機会がある人も多いはずです。
築55年以上が経過し、スポーツ施設としての機能が不足していたことから、佐賀城内エリアの特性などを踏まえ、今後新たな文化創造拠点として利活用するためのリニューアル計画が進んでいました。しかし、昨今の急激な資材価格の高騰によって、工事費の大幅な増加が見込まれたことから、現在は工事の発注手続が中断している状態です。
深い歴史を持つこの体育館を未来の世代へとつないでいくため、いま何ができるのか。その想いから、令和6(2024)年11月16日に開催されたのが、今後の施設の活用方法の在り方を考える一般公開イベント「ICHIMURA Future Design Meeting Vol.4」です。当日の模様を、ご紹介していきます。
現存する貴重なモダニズム建築である市村記念体育館
市村記念体育館の歴史は、1963年にリコー三愛グループの創業者であり、佐賀県出身の実業家・市村清氏が「佐賀県体育館」を県に寄贈したことに始まりました。その後、1992年に「市村記念体育館」と名を変えた現在でも、モダニズム建築の魅力を今に伝える貴重な存在でもあります。
11月16日に開催された「ICHIMURA Future Design Meeting Vol.4」の第一部で実施されたのが、名建築と言われる市村記念体育館を探索する現地見学会です。案内を担当するのは、設計を担当した建築家、坂倉準三氏の設計事務所・坂倉建築研究所の建築士。坂倉準三氏は、国立西洋美術館本館などを手掛けたル・コルビジェの一番弟子としても知られ、当時の日本を代表する建築家の一人です。パリ万博日本館や新宿西口広場など、多数のモダニズム建築を生み出した人物でもあります。
プロの解説を聞きながら、なかなか見られない建築内部を探訪
見学会では、近代建築運動の潮流を受け継ぎながらも、独自のデザインや構造を備える市村記念体育館の特徴が、紐解かれていきました。
まず、象徴的なのは、正面からは王冠、側面からは馬の鞍型に見える独創的なデザイン。ケーブルでプレキャストコンクリートパネルを吊る、県内唯一の吊り屋根構造を採用した結果、緩やかな曲面が生み出すユニークな天井面を実現しています。
観客席最上段から眺めると、天井の曲面の形状がよく分かる。
また、東西からスロープ状に突き出た梁は、屋根に降った雨を溜めずに流す仕掛けに。梁の先には円形の水桶けが設置されています。
雨水対策の梁は、機能性のみならず、外観にも個性を添えている。
壁のタイルや階段、ガラス窓など細部に宿るこだわり
そのほかにも、坂倉氏が好んだという壁に施された青色のタイルや、幾何学的なデザインの階段手すり、傾斜した外壁に合わせて平行四辺形にカットされたガラス窓など、随所に建築家のこだわりが見受けられます。こうしたユニークな意匠の数々こそ、市村記念体育館が単なる施設にとどまらず、文化的アイコンとして近隣地域に根付いた大きな理由なのかもしれません。
2階ホワイエ壁面のタイルは、建設当時のものがそのまま使用されている。
正面玄関左右の螺旋階段。滑らかなデザインの木製の手すりが施されている。
プロの建築士たちの解説を聞きながら、普段は見られない裏側を探訪する試みに対して、参加者からは「こんな複雑な構造になっているとは知らなかった」という驚きの声が上がっていました。
有識者たちと考える、市村記念体育館の活用法とは?
そして、一般公開イベント「ICHIMURA Future Design Meeting Vol.4」の第二部として開催されたのが、有識者による公開会議です。
コーディネーターは、市村記念体育館利活用検討委員長であり、東京大学総合研究博物館客員教授の洪恒夫さん。登壇者には、都城市立図書館の館長である井上康志さんと、フィンランド教育・福祉プロジェクトコーディネーターのヒルトゥネン久美子さんが登場。3人の有識者によって、実例をもとにした市村記念体育館の活用法が検討されました。
毎月約10万人が訪れる図書館・都城市立図書館
最初の登壇者となったのは、宮崎県都城市にある都城市立図書館の館長である井上さんです。デパート跡地をリノベーションした独特な建物と、ユニークな活動によって全国的にも注目を集める同図書館。館長の井上さんによれば、開館以来「1人ひとりが大事なものを見つけるための場所」というコンセプトのもと、地域住民が自分のやりたいことを自由に実現できる空間づくりを目指してきたそうです。
写真提供/株式会社アイダアトリエ、撮影/野秋達也
あえて壁を作らず、どこからでも全体を一望できる都城市立図書館の内観。
数々の工夫や努力の末、都城市立図書館は2018年の開館から600万人以上の来館者数を記録。その変化は、周辺部への新たな店舗の集積につながるなど、中心市街地活性化にも大きな影響を与えています。まず、周辺の商業施設やカフェとのコラボレーションが活発化。さらに市役所や保健センター、子育て支援施設などの公共施設が近隣に集約されていることも相まって、さまざまな世代や目的をもつ利用者が集うようになりました。
写真提供/都城市立図書館
学生たちの演奏会。フリーのギャラリースペースでの展示会や、イベント広場での音楽・ファッションショーなどを随時実施。
利用者が思いついた企画を自主的に持ち込み、図書館職員のサポートを受けながら実現できるのも、この図書館の魅力のひとつです。その結果、世代や属性の垣根を越え、参加者同士が自然に関わり合う場面が生まれ、地域内で多様なネットワークが育まれています。
写真提供/都城市立図書館
高校生が企画したファッションショーの様子。専門職員のアドバイスを受けながら、市民や学生が主体的に企画するケースが増えているそう。
「新しい図書館の在り方を体現する」。そんな都城市立図書館の今後の展望について、井上さんは「図書館は本を借りるだけの場所ではなく、人々が何かを学び、語り合い、新しい活動に挑戦するきっかけの場になってほしい」と語りました。
世界中から人が訪れるフィンランドの図書館の秘密
続いて、登場した事例は、フィンランド・ヘルシンキ中央図書館「Oodi(オーディ)」。同図書館は、首都ヘルシンキの中心部、国会議事堂や美術館などが立ち並ぶ"市民のひろば"の一角に位置し、地元の住民や学生はもちろん、移民・難民の人々まで幅広い層が利用しています。2018年に開館した比較的新しい公共図書館でありながら、世界各国から多くの人々が訪れる人気のスポットとなっています。
登壇したフィンランド教育・福祉プロジェクトコーディネーターのヒルトゥネン久美子さんによれば、Oodiは、フィンランド社会が掲げる「すべての人が集い、自分らしく過ごせる場所」を目指し、設計・運営されている点に大きな特長があるのだとか。
まず、1階には、イベント用のスペースや映画館、カフェスペースなどが設置されており、誰もが気軽に足を運べる構造に。そして、2階は学び合いのための多様な会議室やラーニングスペースの他に、「つくる・学ぶ・楽しむ」をコンセプトに、3Dプリンターやミシン、音楽スタジオなど創作活動に役立つ機材を完備。まさに"市民の創造力"を形にする場として活用されています。そして、最上階の3階にあるのが、「BookHeaven(ブックヘブン)」と呼ばれる読書スペース。広々とした空間に膨大な量の本が並ぶなか、人々は本を読んだり、昼寝をしたりと、自由な時間を過ごすことができます。
DIYスペースをはじめ、無料で誰でも使えるため、親子でオリジナルのおもちゃを制作したり、若者たちが音源を録音したりと、多様な過ごし方を実現。
「都市の玄関口に位置する公共施設として、誰もが居場所を見つけられ、自分らしい創造性を発揮できる環境を提供すること。それがOodiの最大の魅力です」とヒルトゥネンさんは語ります。
気軽に使え、多様なニーズにこたえる「一人ひとりのリビング」を整えることが、成功のカギに
各施設の事例説明が終わった後は、市村記念体育館を含む今後の文化施設の在り方について、コーディネーターの洪恒夫さんを交えたトークセッションが行われました。
テーマは、市村記念体育館を"人材育成につながる拠点"にするには、どのようなアップデートを行うべきか。多数の偉人を生んだ佐賀という地において、広い視野を持ち、次世代に必要なものを自ら考え、創り出すデザイン力を持つ人材を輩出するには、どのような施設が必要なのかについて論じられました。
まず洪さんが提言したのが、「リビング」という概念です。「みんなが参加したくなるなんでもできる環境を整え、誰もがくつろげる各人にとっての『リビング』のような居心地のよいスペースを生み出すことで、多くの人が自発的に施設を利用するようになります。そんな居場所があることが、都城市立図書館とOodiの共通項なのでは」と洪さんは指摘しました。
市村記念体育館を「リビング」として居心地よい場所にするためにまず大事なのが「ハード面における柔軟な空間づくり」です。たとえば、都城市立図書館で印象的なのが、壁や仕切りを極力つくらない開放的なレイアウト。さえぎるもののない空間は、利用者同士が自然に交流し、新しいアイデアを共有し合う絶好の場になっていると感じます。
さらに、井上さんによれば、都城市立図書館では、イベントスペースを市民に開放することで、ショーや展示、会議、ワークショップなど、多くの人が積極的に参加できるイベントを日々開催しているそうです。
また、フリースペースでも、使い方を制限することなく開放。中高年が新聞を読む傍らで、近隣の高校生たちが試験勉強をする姿も見られるとか。そうした、多種多様な活動を取り込める柔軟な空間づくりこそが、人々が集う要因のひとつになっています。
また、ヒルトゥネンさんいわく、フィンランドでも「税金はすべての市民に還元されるものなので、税金で作られる施設は使う人を選んではいけない」という考えが根付いているため、Oodiでも誰もが自由に過ごせるスペースづくりが重要視されているようです。たとえば、読書スペースのほかに、DIYスペースや映画館、ユースセンターなどが併設されることで、チェスやボードゲームで楽しむ若者や親子、カフェで一息つくお母さんたちやシニア世代、ミシンで自作の服を作ったりなおしたりする学生たちまで、多様な人々が自由気ままに時間を過ごせるようにと配慮されています。
特定の目的に縛られることなく、自由でクリエイティブなフリースペースを設け、子どもから高齢者までが目的を問わず集える空間をつくること。それが、「一人ひとりのリビング」を実現する上で、大きな要素になりそうです。
緩やかなルールが、人々の「ほしい」を引き出す原動力に
また、ソフト面についても洪さんから指摘が挙がったのが、「利用者が主体的に活動できるようにルールや目的を決めすぎないこと」の重要性についてです。
その一例として、都城市立図書館で実践するのは、「禁止事項のはりがみ」がほとんどないことです。図書館も社会の一部である以上、利用者自身に使い方を考えてもらう「余白」を作ることが重要なのだとか。
また、仮に利用者同士でトラブルがあった際は、"なぜダメなのか"を対話して解決することを意識しているそうです。「利用者からの意見を適宜吸い上げる柔軟な運営姿勢を重視することで、より多くの市民同士が共存しやすい環境を育んでいるのです」と井上さんは語ります。
Oodiでも、「図書館とはいえ、『本を読まなければならない』という固定概念に縛られることなく、どんな人でも分け隔てなく受け入れることを基本理念としている」のだと、ヒルトゥネンさんも指摘します。たとえば本を読むにしても、椅子に座っても、寝そべってもいいし、誰かと一緒に笑いながら読書をしてもいい。自分も他者も互いに尊重し合う多様性ある過ごし方を受け入れるからこそ、Oddiは市民の憩いの場としての役割を果たすことができるのです。
時代と共に変化する利用者のニーズを柔軟に受け入れる施設側の想いと、当事者意識を持って積極的に意見を投げかける利用者側の想い。この二つが両立しなければ、多くの人の魅力を引き出す公共施設は生まれません。
施設と利用者が、ともに"良い空間を生み出す姿勢"と共に、意見交換し、生まれた意見を反映する。その姿勢を抱き続ければ、リニューアルが実現した後の市村記念体育館も、多くの人にとってかけがえのない場所として進化し続けていくはずです。
文:藤村はるな