【佐賀駅の歴史】地元の人たちに愛され、歴史を刻む。そして共に未来へ。 PR

【佐賀駅の歴史】地元の人たちに愛され、歴史を刻む。そして共に未来へ。

変わりゆく佐賀のまち

2024(令和6)年に開催される国民スポーツ大会・全国障害者スポーツ大会を契機に、いま、佐賀駅と佐賀のまちなかは大きく変化しようとしています。そんな佐賀駅とその周辺の変遷を、昭和から平成・令和にかけて振り返ります。

佐賀の玄関口である『佐賀駅』

かつての佐賀駅は現在より200mほど南、現在の「駅前交番西」交差点の付近にありました。木造瓦葺きの駅舎は南に出入口が設けられ、駅前ロータリーにバスやタクシーが乗り入れていました。

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高架化と交通渋滞の緩和のために駅の移転が決定し、1976(昭和51)年に現在の場所に移転しました。高架下にはバスの発着所やショッピング街が誕生しました。1976年は『第31回国民体育大会(若楠国体)』が開催された年でもあります。南口だけでなく、国体会場の佐賀県総合運動場にアクセスしやすいよう北口が設けられ、駅北側においても周辺の開発が進んでいきます。

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写真上が南方面。下に見える長く白い建物が現在の佐賀駅。

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列車が通るたびに長い渋滞となった踏切

今は無き、佐賀を南北につないだ路線

現在、佐賀駅は長崎本線と唐津線が通っています。知らない世代が増えていますが、かつては"佐賀線"と呼ばれる、筑後大川駅までつながる路線がありました。

今も佐賀市諸富町および福岡県大川市のシンボルである筑後川昇開橋は、佐賀線の開通を機に建設されたものです。当時は船による交通や輸送がさかんだったため、橋の下を船が通れるよう、橋の中央部分が昇降する構造が採用されました。現在、昇開橋は遊歩道となって復活しています。

佐賀線は1987(昭和62)年に廃止されたものの、線路跡の一部は総延長約5キロの『徐福サイクルロード』として整備され、桜の名所としても人気の場所です。

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現在とはだいぶ様子が違っていたまちなかの交通。実は昭和の半ばまではちょっと変わった乗り物が利用されていました。唐人町にある『佐星醤油株式会社』に保管されている1927(昭和2)年の市街地図では「川上軌道」「馬車軌道」という言葉が確認できます。

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「川上軌道」とは、旧佐賀駅から現在の佐賀市大和町川上までつながっていたミニSLの軌道のことです。また、「馬車軌道」とは、馬がレールに沿って馬車をひく鉄道(馬鉄)を指します。馬鉄は旧佐賀駅から『招魂社(現在の護国神社)』まで、さらには諸富まで通じていました。

ミニSLや馬鉄は一部電化されるなどの過程を経て、1937(昭和12)年までに廃止され、バス路線となっています。

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馬が馬車を引く馬鉄の写真

変わる中央大通りや周辺商店街

1959(昭和34)年、唐人町にアーケードが設置されました。1965(昭和40)年には中央大通りが開通し、佐賀銀行本店前から貫通道路(国道264号)までをつなぎました。

この他、昭和30年代から40年代にかけて、中心市街地(佐賀市呉服元町や錦通り)にもアーケードが相次いで完成しています。1980(昭和55)年には白山名店街アーケードが完成しました。その後、周辺のアーケードは屋根の老朽化などを理由に撤去が進んだことで、現在は白山名店街が中心市街地で唯一のアーケードを残す商店街となっています。

1986(昭和61)年以降は中央大通りの再整備が進行し、電線地中化などの工事を経て、1991(平成3)年、中央大通りはシンボルロードとして再生して現在に至ります。

まちなかを賑わせた大型店舗

1965(昭和40)年、呉服町にあった佐賀玉屋が中央大通り沿いに移転しました。1980(昭和55)年には新館が新築オープンしており、地元百貨店として現在も多くの市民に利用されています。

中央大通りの南方、松原川沿いでは『日祐 佐賀店』が1964(昭和39)年に創業しました。平成に入ってから『マルキョウ』の子会社に譲渡されて『マルユー』そして『マルキョウ』として近隣住民が買い物の用を足しましたが、2013(平成25)年に閉店しました

2016(平成28)年に『佐賀バルーンミュージアム』がオープンし、熱気球に親しむスポットとして佐賀市の内外から観光客が訪れます。

佐賀駅南口では1979(昭和54)年に『西友 佐賀店』がオープン。開業当初は屋上遊園地があり、佐賀玉屋の屋上遊園地と並ぶ人気スポットでした。駅周辺の住民はもちろん、市民に広く親しまれていましたが、2018(平成30)年に惜しまれながら閉店し、跡地では2020(令和2)年にコムボックス佐賀駅前店がオープンし、新たな人の流れを生み出しています。

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まちと共に歴史を刻む

中心市街地には長い歴史を持つ店舗や企業があり、まちなみの変遷を見つめてきた方々がおられます。まちへの思いを語っていただきました。

VOICE.1 ミール珈屋凪(こやなぎ) 小川公宏さん・郁子さん

「お客さんたちの存在が、今の愛敬の姿を作った」

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20220225_kizukii_052.jpg小川さん

車でも来られるし、駅から歩いて来ることもできる。愛敬町のこの場所は、今でこそ立地がいいといわれます。でも、先代が店を始めた50年近く前は、駐車場や田んぼがある他は空き地が目立つまちだったそうです。

縁あって先代が店を出したところ、農協や市役所、配送業、建設会社、バス会社の人が来てくれるようになりました。バスガイドさんが寮から歩いて店に食べに来てくれたり、高校生が学校帰りに寄ってくれたり。「お客さんに助けてもらった」と先代は言います。店を助けてくれたお客さんたちの存在が、愛敬町の発展につながったんでしょうね。

配送業や建設会社の支店が遠くに移転してしまったらしく、まちなみは昔と大きく違うみたいですが、往年の雰囲気を残すこのお店に来てくれる方がたくさんいます。

まちに人が減ったのはやはりさみしく感じます。私が小学生の頃は銀天夜市に行ってアーケードを歩いて回るのが一番の楽しみでした。あの頃の活気が懐かしいです。

でも、近年は中央大通りにも新しい店が増えてきていますね。「佐賀には何もない」という人が多いけれど、先代に言わせれば、「文化にしろ歴史にしろ、佐賀のように豊かなまちは他にない」。佐賀ならではの良さを発揮して、まちの活気をとり戻してほしいです。

PLACE.1 『ミール珈屋凪』

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ヒデシマライスをはじめとした名物を目当てに、県外からも多くの人が訪れる喫茶店。もともとコーヒー専門店だったところ、「お客さんにおいしいものを食べさせてあげたい」という一心で先代が創作したのがヒデシマライス。「なんという料理」と尋ねられ、「今ヒデシマさんが食べているからヒデシマライス」と答えたのが名前の由来です。

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創業当時の店は今より少し南方にあり、45年ほど前に現在地に移転しました。昔と変わらぬ雰囲気が多くのファンに愛されています。高校時代、店に通った人が佐賀に帰省する年末年始やお盆休みは混み合います。昔懐かしいゲーム機の台も貴重です。

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住所 〒840-0812佐賀県佐賀市愛敬町10-18
TEL 0952-24-4877
詳細情報

【営業時間】9:00~24:00
【定休日】 第一、第三水曜日
【駐車場】 有

VOICE.2 佐星醤油株式会社 吉村英夫さん

「文化を発信するまちづくりを今後も進めていく」

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20220225_kizukii_092.jpg吉村さん

佐星醤油のある唐人町の歴史は古く、1599年にさかのぼります。当時の一流の武人・文人で鍋島直茂に仕えた李 宗歓(り・そうかん)とその一族がこの地に住んだことから、異国人の住む町という意味で唐人町と呼ばれるようになりました。

佐賀市唐人町商店街振興組合ではサガ・ライトファンタジーや1999年の唐人町400年祭など、「文化を発信するまちづくり」をコンセプトに様々なイベントを開催してきました。唐人町400年祭に際して生まれたキャラクター『唐人君・おえべす君・唐獅子君』はまちなかのフラッグに今も登場しています。同じくまちなみに花を添えている『街なか唐人美術館』の絵画作品にもぜひ目をとめていただきたいです。まち歩きを楽しんでいただくための工夫ですね。

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20220225_kizukii_092.jpg吉村さん

2011年以来休止していた『ストリート音楽祭』は「コロナ禍でも楽しめるイベントを」という思いで、今年1月に『あなただけのコンサート』として予約制の少人数で実施しました。佐星醤油では雅楽を鑑賞していただき、好評でしたよ。

まちなみの変遷で私にとって印象深いのはやはり、1959年唐人町にアーケードができたこと、1965年に中央大通りが開通したこと、そして1985年にアーケードが撤去されて1991年に中央大通りがシンボルロードとして生まれ変わったことですね。

今年の2月には『佐賀市中央大通り再生会議』が提案書を佐賀市長に提出しました。まちの活性化につながることを期待しています。唐人町の歴史を活かしつつ、今後も文化の発信を進めていきたいです。

PLACE.2 『佐星醤油株式会社』

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江戸時代に穀物商だった吉村家が1897(明治30)年に醤油醸造を始めました。1902年(明治35)年に佐賀醤油合資会社が設立されました。現在の佐星醤油株式会社になったのは1951(昭和26)年のこと。香り高い醤油や味噌は地元で長年愛されています。1931(昭和6)年頃に建立された洋館と木造の和風建築の当時とほぼ変わらない姿は、佐賀市民にとってなじみが深いことでしょう。

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洋館の中で商品を購入できます。また、まちの変遷と佐星醤油の歴史を知る資料が展示されたギャラリーは必見です。

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ちなみに国内初の女性化学者の黒田チカは、4代目吉村吉郎の実妹で、中央大通りを隔てて『佐星醤油株式会社』のななめ向かいに像が建っています。

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住所 〒840-0813佐賀県佐賀市唐人1-1-16
TEL 0952- 23-4624
公式サイト http://www.saboshi.co.jp/
公式SNS Facebook:@saboshisoysauce
詳細情報

【店舗営業日】平日 9:00~18:00 ※インターネットでのご注文は24時間承ります。
【定休日】 土・日・祭日
【駐車場】 無

VOICE.3 クマシロ眼鏡店 神代宜彦さん

「若い世代とまちとのリンクを、大人が考えていく時期」

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20220225_kizukii_162.jpg神代さん

かつて唐人町は屋根付きのアーケード街で、八百屋・肉屋・菓子屋などが並び、大型の電化製品店もありました。80年代から90年代にかけてブティックが増え、屋根が撤去されて、おしゃれなまちになってきたという印象を受けていました。

中学生や高校生が学校帰りに寄り道していました。好奇心旺盛に店をのぞく姿や、ちょっと無理して高い洋服を買う姿などは印象的ですね。ハイブランドを扱う店もあれば古着屋も多く、ローカルな雑誌もあって、まちがファッションや文化の発信地になっていました。まちなかで弾き語りする人もよくいましたね。

お店に通ううちに古着のうんちく話を聞いたり「どういう音楽聞いているの?」という会話をきっかけに知らなかったジャンルの音楽を紹介してもらったり。そんな中高生と大人たちの交流がありました。中高生の元気と、まちとがうまくリンクしていた時代です。今は空き店舗が多いですが、2000年代頃から新しいスタイルの飲食店が増えてきて、カフェには若者の姿が目立ちます。

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20220225_kizukii_162.jpg神代さん

ネットでほとんどのことを調べられる現代においても、自分の世界を広げてくれるのは人とのリアルな交流です。「あの辺りに寄り道していたな」という思い出があれば郷土愛につながるのに、その機会が失われているのは残念です。感性が豊かな時期にネット以外のつながりを経験してほしいですし、中高生とまちをどうリンクさせるかを、大人が考える時期にきています。

オンラインゲームをするにしても、まちの広場でやるとか、カフェの中でやってみるとか、世界を広げる方法はあります。中高生をはじめ若者がネット以外の世界につながるきっかけが、まちの中にはあるんです。

PLACE.3 『クマシロ眼鏡店』

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1868年、佐賀市白山で眼鏡と時計の専門店として創業しました。明治元年に専門店を開業できたのは、異国との窓口だった長崎から近いといった地の利があったと推測されます。白山から呉服元町に移転し、現在は唐人町で営業しています。

白山に店を構えていた時代の写真。昭和初期のまちなみが写っています。

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こちらも白山時代の写真ですが、時代が下ります。

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国内・海外のブランドを扱う当店では、オーナー自身が厳選した眼鏡のみを仕入れています。展示会に出向いて自分の目と手で品物を確かめることを欠かしません。デザイナーや産地との交流も大事にしてきました。

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店頭に並べられた眼鏡は機能性が高いことはもちろん、おしゃれかつ日本人の顔によくなじむデザインのものばかりで、眼鏡ファンからの厚い信頼を得ています。かつて学校帰りに立ち寄っていた若者が、大人になった今も来店してくれているケースもあるそうです。

住所 〒840-0816佐賀県佐賀市駅南本町3-23
TEL 0952-23-4278
公式サイト https://kumashirooptique.net/
公式SNS Instagram:@kumashirooptique
Facebook:@kumashirooptique
詳細情報

【営業日】10:00〜19:00 年中無休
【駐車場】 有

大きく変わってゆく佐賀のまち

現在、佐賀のまちの風景は大きく変わりつつあります。2024(令和6)年に開催される国民スポーツ大会・全国障害者スポーツ大会に向けて、駅から徒歩20分の距離にSAGAサンライズパークの建設工事が進行しており、これに合わせて様々な周辺の開発が行われているのです。

佐賀駅北口も大会開催に備えて2021(令和3)年5月にリニューアルしました。東西に分かれていた車両の出入り口を1か所にまとめ、スクランブル交差点を導入したことで、佐賀駅北口を利用する人々にとって使いやすくなりました。

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また、佐賀駅北口からSAGAサンライズパークへアクセスするための道路も併せて整備が進められており、国民スポーツ大会・全国障害者スポーツ大会を訪れる県内外の人々を迎える玄関口としてふさわしい装いが整えられてきています。

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一方、佐賀駅の南口では、駅前広場をイベントなどで活用できるよう整備する計画が立てられています。2022年(令和4)12月の完成を目指して、現在も着々と工事が進められています。

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佐賀駅周辺で生まれた賑わいを、中心市街地や佐賀城内へと広げる計画も進行中です。佐賀駅南口広場とつながる道路は、現在の4車線を2車線に減らし、歩道を広げるなど、居心地がよく歩きやすい空間をつくるための検討もはじまりました。2021年10月に行われた社会実験「佐賀駅南テラスチャレンジ」もその検討の一環として行われたものです。

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国民スポーツ大会・全国障害者スポーツ大会をきっかけとして、北はSAGAサンライズパーク、南は中心市街地と佐賀城内をつなぐ、佐賀のまちの南北の軸を中心としたまちづくりが、いま、動き出しています。

佐賀駅が高架となった1976年以来、実に50年ぶりの大変化の途上にある佐賀のまち。

取材で感じたのは、まちなかの人材がまちの歴史をつないできたということです。まちの姿が大きく変わっているいま、熱意と創意工夫で継承されてきたバトンを次の世代に渡すために、人とまちとがリンクしたまちづくりがいっそう求められています。


ライター:伊藤 恵子

公共空間の利活用

KIZUKIプロジェクト

”佐賀らしさを誇りに思えるまち” 佐賀に住む人たちが、佐賀が好き。その場所を大切にしている。 新しい価値を取り入れ、もっと良くして...

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