【森山製帽所 後篇】ミシンと真田紐が出会って生まれた、麦わら帽子。作り続けてきた3代分の思い。

【森山製帽所 後篇】ミシンと真田紐が出会って生まれた、麦わら帽子。作り続けてきた3代分の思い。

森山製帽所3代目 森山真登さん(工房にて)

創業100年近くの麦わら帽子工房に隠された、ファミリーヒストリー。

「なんもなか(=なにもない)」が口癖の佐賀の人たちにこそ伝えたい、地元に眠る地域資源。九州北部の筑後地域を中心に、地域のものづくりと文化を紹介するアンテナショップ「うなぎの寝床」がピックアップした、佐賀の知られざる魅力を紹介します。

暑い夏の定番アイテムとして、すっかり定着している麦わら帽子ですが、日本ではいつ頃から作られているか、ご存じですか?

前回に引き続き、佐賀県小城市の牛津(うしづ)町で麦わら帽子を作っている森山製帽所の3代目、森山真登(もりやま・まこと)さんに創業からのお話を伺っていくと、明治の文明開化から戦後の高度経済成長期まで、麦わら帽子の裏に隠された、波乱万丈な歴史が見えてきました!

完成した麦わら帽子と森山さん出来上がった麦わら帽子を見せてくれる森山さん。

ミシンが教えてくれる、実はハイカラな麦わら帽子誕生の歴史。

森山製帽所のはじまりは、1920年(明治38年)前後。真登さんのお祖父さんにあたる初代・森山忠次(ちゅうじ)さんによって、麦わら帽子専門の工房として佐賀県小城市の牛津町で創業しました。

どうして麦わら帽子を作るようになったのか、その詳しい経緯は分からないのだそうですが、忠次さんの時代から使っているのが、ブラザー工業の麦わら帽子専用ミシン。帽子をぐるぐる回しながら円盤状に麦紐を縫っていくことができる、特殊なミシンです。(当時は手回し式、現在は電動を使われています)。

気になって帰ってから調べてみると、このミシンは「麦藁帽子製造用環縫ミシン」という名前で、1928年(昭和3年)にブラザー工業が作った日本初の国産ミシンでした。当時、日本のミシン市場がアメリカの大手ミシン会社「シンガー社」によって独占されていた中、名古屋でミシンの修理を生業にしていた安井兄弟(ブラザー工業の創始者)が、品質が安定しない外国製ミシンに対抗すべく作ったのが、麦わら帽子専用のミシンだったのです。

開国により、西洋の文化がどどーっと入ってきた明治の時代、ミシンは新しい時代の象徴でした。麦わら帽子も「カンカン帽」などと呼ばれ、制服に使われたり、ファッションアイテムとして人気が出たり、爆発的にニーズが増えた産業だったようです。麦わら帽子の原料である麦稈真田(ばっかんさなだ)と呼ばれる麦紐も、岡山や埼玉などで盛んに生産され、国産の真田紐も多く輸出されていたといいます。

編み笠などの日本の伝統的な手工芸の流れと、ミシンという西洋文明の新しい技術が出会い、新しく確立されていった工芸技術こそが麦わら帽子なのです。

ミシンを操る森山さん

手前と奥にある2台のミシンが、麦わら帽子製造専用のミシン。

帽子のつばを縫う様子

左手で帽子をくるくる回しながら、右手に持った麦わら真田紐を縫っていく。

帽子の汗革を縫う様子

ちなみに中の汗革を縫い付けるミシンも、ブラザー社製。

厳しい戦後の時代、地元のスポーツ店を営みながら、守り続けた麦わら帽子作り。

戦前は急成長した麦わら帽子の市場ですが、2代目の父・森山茂樹(しげき)さんの時代になると、生産拠点が日本から海外へ移り始めます。戦後の高度経済成長の頃から、安い海外産の麦わら帽子が普及し始め、国内での生産が難しくなり廃業するところも多かったといいます。

麦紐も国産のものは手に入りにくくなり、一時はナイロン製の真田紐なども試したそうですが、熱がこもりやすく暑かったため、海外産であっても天然素材の麦紐にこだわって作り続けたとのこと。

そんな時代の中、森山製帽所は自社商品である麦わら帽子の製造の他に、野球帽や学生帽など学校向けに、他メーカーの帽子の卸販売も行うようになります。真登さんが中学生だった1979年頃には、表でスポーツ用品店も開業し、麦わら帽子作りの2本柱体制が確立します。

3代目として育った真登さんは、子供の頃から麦わら帽子の針仕事や型入れを手伝っていましたが、「外に出たい」という気持ちもあり、父・茂樹さんからも「外の窯の飯を食ってこい」と言われたこともあり、高校卒業後に大阪の専門学校へ進学します。卒業後も大阪に残り、大手スポーツ用品店で働き始め、1年後には店長に。当時はバブルのテニスブームやスキーブームの真っ只中で、年末は寝る間もないくらい忙しかったそうです。

しかし大阪に行って6年が経った頃、父・茂樹さんから「そろそろ帰ってこい」との連絡が。心のどこかで「家業を継がなければ」と思っていた真登さんは1990年、25歳の時に佐賀へ帰り、麦わら帽子職人として修行をはじめたのです。

現在、九州では森山さんの工房の他に麦わら帽子工房は2件が残るのみ。農業用・ファッション用の帽子として販売店などに卸す他、最近では個人のお客さんも増えているそうです。一つ一つ手仕事で作っているからこそ、サイズなどの要望にも応えることができているとのこと。表のスポーツ用品店「モリヤマスポーツ」でも取り扱っているので、これを機会に訪れてみてはいかがでしょうか。

ナイロン製の真田紐

戦後一時期普及した、ナイロン製の真田紐。父・茂樹さんも一時は試したという。

看板「帽子・スポーツ モリヤマ」

麦わら帽子の需要が減っていった時代に始まったスポーツ用品店との兼業体制。

「モリヤマスポーツ」店内

表のスポーツ用品店では、自社製の麦わら帽子だけでなく他メーカーの帽子も扱う。

森山製帽所 工房

佐賀に戻って30年近くになる森山さん。20年ほど前に父・茂樹さんを亡くしてからは一人で工房を切り盛りしてきた。

まとめ

森山さんの工房を訪れる前は、麦わら帽子は「夏・蚊取り線香・田んぼ・・・」など日本の原風景に近いイメージがあったので、勝手に伝統工芸だという先入観を持っていたのですが、実はとても「ハイカラ」な歴史だということを今回知ることができて、個人的にもとても興味深い取材となりました。

佐賀という土地も、大隈重信をはじめとして、明治維新を先導していった偉人を多く輩出した場所。新しい西洋文化を受け入れ、自分たちのものにしていった、活気のある時代だったのだろうなーと、想像が広がります。

前編・後編でお届けした森山製帽所のお話、いかがだったでしょうか。「昔ながらのもの」として見過ごしてしまう、身近な存在にこそ隠れている、新しい発見や現代にも役立つ知識・歴史、これからも少しずつ紹介していきたいと思います。

帽子を作る森山さん

森山さんの工房には、親子3代に渡って使われ続けている道具があちこちにあり、どこか懐かしさを感じる。

お店・場所・人・イベント期日などの情報・リンク先等

「森山製帽所」と「モリヤマスポーツ」外観

森山製帽所(モリヤマスポーツ)

住所:〒849-0303 佐賀県小城市牛津町牛津816

電話:0952-66-0177

営業時間:9:00~19:00

定休日:第3日曜日

駐車場:あり

ホームページ:http://compass.shokokai.or.jp/50/412081S0016/index.htm

うなぎの寝床
リサーチャー(広報企画)・通訳

渡邊 令

1989年東京都生まれ、ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス(LSE)社会人類学部卒業。その後福岡のポンプ会社で社長秘書を勤めた...

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