あなたの知らない佐賀の七賢人
佐賀の七賢人とは
江戸時代末期(幕末)から明治時代にかけて活躍した、佐賀藩出身の偉人七人の総称である。
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鍋島直正
1830年(天保元年)に佐賀藩の第十代藩主となる。佐賀に医学館や反射炉を建てるなど自身の功績と共に、教育にも力を入れ、多くの優秀な人材を育てた。
佐野常民
1855年(安政2年)に日本初の蒸気機関車模型を完成させる。「今の日本赤十字社」を設立した。
島義勇
1856年(安政3年)~1857年(安政4年)に北海道と樺太を探検・調査。札幌のまちづくりに貢献した。
副島種臣
1869年(明治2年)に参議、1871年(明治4年)に外務卿、1892年(明治25年)に内務大臣に就任。正義感が強く、誰に対しても平等に接し活躍した。
大木喬任
1868年(明治元年)に東京府知事、1871年(明治4年)に初代文部卿、1873年(明治6年)に参議、司法卿、1880年(明治13年)に元老院議長に就任。日本で最初の文部科学大臣になり、新しい時代の学校の仕組みを作った。
江藤新平
1871年(明治4年)に廃藩置県を行う。1872年(明治5年)に司法卿、1873年(明治6年)には参議に就任。日本で最初の法務大臣になり、国の法律や新しい裁判の仕組みを作った。
大隈重信
1870年(明治3年)、参議、1873年(明治6年)、参議兼大蔵卿になる。1882年(明治15年)3月、立憲改進党結成。総理大臣に二回もなり、東京専門学校(現在の早稲田大学)を開校した。
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