<1話目>
佐賀市・高岡家 その1「引き算の生活」
今日は梅雨の真っ只中で、雨は降っていないものの気温は30度を超え何より湿度が高い。
そんな中、記念すべき1組目の家族の家に到着した。
壁にはモノクロのフィルムで撮影された家族写真が飾ってある。
高岡さん家族だ。
ご夫婦は奥さま博子さんの故郷名古屋で知り合い、料理の修業のためカリフォルニアに渡るタイミングで結婚したという。
カリフォルニアには6年ほど住んでいたが、途中長女を出産。
娘が1歳半頃、ご主人の故郷である佐賀に帰ってきたという。
家に入って最初に出迎えてくれたのはこの子。
彼は帰国後佐賀で産まれた。とにかくやんちゃ盛りの4歳である。
「夏は自然と家族がこの廊下に集まるんです」
高岡家にはクーラーがないという。
確かに廊下には風が通り涼しい。お姉ちゃんはその一等地で本を読んでいた。
2階には蚊帳。
夜は窓を開けて寝るので、蚊が入り込んでくるためだ。
しかも蚊帳は周りより1度気温も低くなるらしい。
実はクーラーだけでない。
ほぼ全ての家にあるだろう「アレ」がないのだ。
冷蔵庫である。
そのわけを伺った。
アメリカから帰国しご主人のレストランを手伝っていた頃、毎日のように長女を実家に預けていたという。
朝早く実家に預け夜遅くに迎えに行き、寝るまでの小一時間だけ娘と過ごし、娘が寝付いた後も残った仕事をする。
睡眠時間はいつも3〜4時間だったそう。
そんな娘とゆっくり時間を過ごすことができない生活に、ある日疑問を抱いた。
「娘や家族にとって決して良いことではない。本当に必要なものは何なのか?」
電気について思うところもあり、その頃から高岡家の「引き算の生活」が始まったという。
クーラー、テレビ、冷蔵庫......
布オムツは今ふんどしに生まれ変わっている。
奥さまは引き算の生活と言ったが、決して不便をしているようには見えない。
むしろ引いたことによってわかる価値を楽しんでいると私は感じた。
「最近は足し算もするようになってきたんですよ」
と奥さんは穏やかな表情だ。
高岡家・家族写真(台所にて)
(つづく)
いつか絶対やろうと思っていたことが、こんなかたちで実現するとは思わなかった。
何のことかというと、このWEBメディアで書くことになった記事のことである。
私は小さな写真館を営みながら、日々スタジオに訪れてくれるお客様の写真を撮っている。
お宮参りや七五三、成人式に結婚式......。
照明器具を配置したスタジオに白い背景を垂らしカメラを三脚に据え、そこに立つ人々の撮影をする。
写真館という空間で私は彼らにパワーをもらい、それはそれは満たされた毎日だ。
お客様には感謝という言葉しかない。
私にとって撮影という行為は、美しい画を光で描くというよりは取材というものに近い。
ここは自分の趣味というかなんというか、とにかく写真を撮るからにはいろんなことを知りたいのだ。
それも人から伝わった情報ではなく自分の目や耳、五感をフルに使って。
だから写真館でも限られた時間の中、撮影しながら可能な限りいろんなことを聞くし観察する。
そしてその場で得た情報を自分なりに解釈し、撮影という編集をしていると思っている。
つまり、画像のフォーマットは本の形、背景紙はページ、光はフォント、そしてそこに映る人々が本文みたいなイメージだ。
そんな写真館での撮影を通して、私が今興味を惹かれているのが「家族」という集合体である。
私は「家族」というものを最小単位の社会と定義している。
「家族」には国家の法律も、世間のマナーやルールも全く関係のない文化が存在し、その日々の暮らしやそこに至るまでの物語は私を虜にし感動させてくれる。
それは私にとって全てが名作の小説や映画と同じく、自分が生きている世界とはまた別の世界へと誘ってくれるのだ。
そこに有名も無名もない。
世界中の全ての家族が持つかけがえのないストーリー、そして日常のそれぞれに素晴らしい感動と価値が存在すると心の底から信じている。
この度ご縁があってこのメディアのエディターの一人として関わらせていただくことになったのだが、自分からお願いをしてテーマをこの「家族」にしてもらった。
なぜなら、「家族写真によって様々な価値を伝える」という活動は、写真館をしている私の目標の一つだったからだ。
スタジオで撮る家族写真は、その白い背景によって想像をかきたてられるため、私は好んで行っているのだが、この企画では可能な限り自宅や家族をじかに感じられる場所まで伺うことで、背景をリアルにし、より奥行きのある家族写真を撮っていきたいと思う。
そしてそこで撮影された写真を通して、私が出会った家族と佐賀の魅力を多くの人に伝えていきたい。
これからどうぞよろしくお願いします。