「佐賀・家族図鑑」第4話 重富家「震災と移住そして人格改造計画」

「佐賀・家族図鑑」第4話 重富家「震災と移住そして人格改造計画」

2011年3月東日本に大きな地震が発生した。
重富夫妻が結婚し、英輪さんの祖父母が住んでいたこの家に引っ越してきたのはその4ヶ月後である。
東京で知り合いを通じて出会った二人。
英輪さんは福岡県西区出身。
関東で役者や演出をしていたが、その後働いていた有名ホテルのレストランでホールスタッフにもかかわらず広告の打ち出しを担当したところ、それが結果につながったことを機にビジネスの勉強を始めたという。
ハルさんは埼玉県川口市出身。
表参道でまつげエクステ専門店でアイリストとして働いていた。
地震発生時、ハルさんは東京で英輪さんは身内のお葬式の為たまたまこの佐賀の家にいたという。
余震や原発事故のニュース、計画停電などが続く中、
「このままここにいていいのかな......」何度もハルさんは英輪さんに呟いたという。

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そんなやり取りの中、なんとなく佐賀行きの話が出た。
「佐賀に行くなら重富になりたい」
「(うっ。)別にいいよ」
2011年5月28日、「今日入籍するよ」と寝ていた英輪さんは突如起こされ、家の目の前にあった役場に二人は向かい二人は結婚。
そうこうするうちに7月になり、バタバタと佐賀に来た。
仕事どころか車さえなかった。しかし就職しようとの意識もなかったという。
英輪さんは3ヶ月前から副業で始めていたネット販売を死ぬ気で頑張り始めた。

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急激に生活が変化する中で、より大きな変化が起き始めたのはハルさんだった。
ハルさんは今放送されているドラマ「過保護のカホコ」(私は見ていないのでわからないが)のようにとても過保護に育てられたという。
人生を通じて誰かにお世話されてきた彼女だが、佐賀に来ると自分を知っている人は夫しかいなかった。
「エイリン、ご飯作ってー」当初はそんなことも言っていたという。
しかしその夫は自分を世話するために必死で頑張っていることに気がつく。
『もう誰のせいにもできない』
そう悟った彼女は、自らの「人格改造計画」を決意した。
うまくいかないことは英輪さんにアドバイスを求めた。
それでも同じミスを繰り返す自分に「変わっていない」といつもショックを受けていたという。
しかし投げ出さず一つ一つ物事と向き合わなければ成長できないと、スポンジのようになんでも受け入れていく。
その辛い日々は2年以上かかった。
でもそこから脱却するために苦しい思いをしたその経験があるからこそ今はなんでも頑張れるようになったとハルさん。
今では
「あれはダメこれはダメ」
「何でも買いあたえる」
そんな親子を見ると自立できなかった自分と重なるという。
今彼女がしずくさんのサポーターでいるのもそんな経緯からだろう。
こんな話をしていると英輪さんが口を開く。
「昔はこんなに可愛くなかったし頭も良くなかったんです」

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私には最高の褒め言葉に聞こえた。

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いつまでも友人や恋人のようで一緒にいて楽しいという二人。

「重富英輪がどうなっていくのか、ずっと見続けていたい」
ハルさんが笑顔で言うその言葉も最高だ。

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ハレノヒ代表

笠原 徹

1975年千葉県生まれ。2003年結婚を機に佐賀に移住後、2015年佐賀市柳町に古民家をリノベーションした写真館「ハレノヒ柳町フォ...

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