「ヨットは趣味じゃなくて生き方」―「ぺんころ号」の上でこう語るのは、佐賀市富士町在住の坂本夫妻。
冒険作家の坂本康介さん(作家名:空門風介、44歳)と、パティシエの玖美さん(31)は、古民家とヨットを拠点に旅をしながら、形にとらわれないライフスタイルを実践しています。
最近は、二人が立ち上げた"旅する出版社「ぺんころ出帆」"から、初めての寓話小説も出版しました。
自由に創作しながら"冒険"を続けるお二人。一体どんな生活をされているのでしょうか?
今回は、気になる坂本夫妻のヨットにお邪魔して、話を伺いました。
プロフィール
康介さん:嬉野市出身。これまで総合商社のビジネスマンとして、20年以上商業界で活躍。意気込みは「ふと面白い」と思ったことはとりあえず全部やる。現在は冒険作家として、旅の傍ら執筆と創作活動を進めている。
玖美さん:長崎県の波佐見町出身。老舗菓子店やハウステンボスでパティシエとして、スイーツビュッフェの立ち上げやメニュー開発、後進の指導で活躍。康介さんに「玖美の腕は日本一」と言われる実力の持ち主。"店舗のないお菓子や「アトリエ たじ」"として活動し、複数のカフェやイベントなどでお菓子を提供している。
山と海、二つの拠点
提供:坂本夫妻
さて、坂本夫妻は、山と海に拠点を持っています。
山での拠点は、富士町の湖畔にある古民家。自由に使える物件を探していたところ、知人の紹介で出合ったのが、この自然豊かで湖を見渡せる場所でした。「ここだ」と即決した、お気に入りの場所です。2022年に移り住みました。
一方、海での拠点はヨットの「ぺんころ号」。2024年に購入し、二人の旅の相棒となっています。同年4月からは、九州一周にも出かけました。
そもそも、結婚してしばらくは組織人だった二人。どのようにして、今の生活に至ったのでしょうか。
"中途半端"を極める
康介さんは「せっかく生まれてきたなら(やりたいことを)全部やりたい」「"中途半端"を極める」というポリシーのもと、20代、30代はとにかくいろんなことに挑戦し、平日は商人道を極め、休みの日は趣味を極める、という生活を送ってきました。
その"やりたいことリスト"の中に「ヨット」がありました。船を持つ予定がない時から一級船舶免許も取得していたといいます。
また、子どもの頃の夢は冒険家になって世界を周ること。想像することや、興味・関心・好奇心を突き詰めて考えることが好きで、これまで膨らませてきたいろんな物語のストックがどんどん溜まっていました。
「はやくこの物語たちを世界中に羽ばたかせたい」。そんなことを考えていたそうです。
その後、活動拠点としていた大阪から地元佐賀に帰ってきたタイミングで、ふと「ヨットに乗りたい!よし!行ってみよう」と立ち寄ったヨットハーバーで、あるヨットマンと出会います。そのヨットマン経由で小型のヨットを譲り受けることになりました。
提供:坂本夫妻
彼こそ、康介さんの「ヨットのボス」である道下さんです。道下さんはその後も事あるごとに指針を示してくれてました。
また、その港で出会ったヨットマンたちは、みな愉快で豪快で親切でした。「陽気な海賊団のような彼らのおかげ」でヨット世界の魅力にどっぷりハマっていくことになります。
やりたいことをやりたいように
一方で玖美さんは、二十歳の頃から自分の店を持つことに対する憧れを持っていました。その思いが強まったのは、コロナの時。当時働いていたハウステンボスは休園になってしまい、何もできないもどかしい時間が過ぎていきました。
「お金よりも時間の方がもったいない」「独立して何かやった方がいいんじゃないか」―。起業塾に行くことを決め、独立の勉強を始めます。しかし、事業計画を書いてみると、採算を合わせるためにどんどんお金の計算に。お金よりも、やりたいことをやりたいようにできる環境を重視していた玖美さんは、書くのをやめてしまいました。
そんな矢先、当時住んでいた有田のNPO法人から「イベントのために出店してほしい」と声がかかります。調べてみると、自分の店舗を持っていなくても、菓子製造の許可が取れた厨房でお菓子を作れば販売できることが分かりました。
そこから"店舗のないお菓子や「アトリエ たじ」"が誕生し、職場に勤めながらも、月に一回、週末にイベントでお菓子を販売するようになりました。
手探りで始めたイベントでしたが、すぐに「アトリエたじ」の評判は広がり、常連さんやファンになってくれる人が増えていきました。
自分の船で旅に出る決意
提供:坂本夫妻 CACETT号のペンキ塗装風景
仕事をしながらも、時間がある時は譲ってもらったヨットで遊んでいた二人。「カシェット」(フランス語で"隠れ家")と名付け、自分たちの手でペンキを塗り直したり改装したりして自分たちらしい空間に仕上げながら、近場で軽いセーリングを楽しんでいました。一方で、「もっと遠くへ行きたい」「本格的な船で宿泊を伴うクルージングに出たい」という思いも湧いてきました。
しかし、自然が相手のヨットでは、たとえ休みをもらっても、予定通りに船を出せるか、あるいは港に帰ってこれるか誰にも分かりません。
ちょうどその頃、康介さんは物語の執筆に集中するために仕事を辞め、玖美さんも意を決して退職。二人は旅に出られるヨットを購入し、2024年4月、九州一周へと舵を切りました。
提供:坂本夫妻 ぺんころ旗をなびかせて出帆
"ぺんころ"と出帆
ヨットや出版社の名前にもなっている「ぺんころ」は、康介さんの『ペンギンころころ』という物語からとったもの。主人公のペンギンが「興味、関心、好奇心を原動力に、夢に向かってさまざまなことに挑戦しながら冒険を続け、転がりながらも自分の在り方に気づいていく」物語です。二人はそんなペンギンに自身を重ね、「ぺんころ」という愛称に決めました。
提供:坂本夫妻 朝焼けと共に出航
長旅中は天気と相談しながら航海し、港に着いたら船を整備したり、そのまちを探検したりする生活。特に地元の方や漁師さん、ヨットマンなど人々とのふれあいがうれしくて、立ち寄る町々が"故郷"になるような不思議な感覚を味わってきたといいます。
航海中は基本的に貯金を削ることにはなりますが、陸にいる時よりもうんと安く生活できるそうです。例えば、買い物は必要最低限。電気は移動中に発電し、タンクの水は寄った港でもらえたりします。燃料は軽油で燃費が良く、食事は船で自炊できます。そのため、自然とミニマリストのような生活になるんだとか。さらに、助け合いの文化が強いヨットは、互いの船に招いて食事をすることも多いそうです。
提供:坂本夫妻 屋久島で出会った仲間達とヨットでクリスマス会
また夜の航海では、静寂の中、見上げれば満天の星空が広がり、見下ろせば夜光虫が淡く光る夜もあります。遠くには、どこかの町の人々の営みがキラキラと海に浮かんで見える―そんな光景を、康介さんは「まるで宇宙船で宇宙旅行しているよう」だと語ります。
初版本 透明な魚のふしぎな冒険
そんなヨット旅の中で、康介さんが育ててきた物語たちもどんどん膨らんでいきました。
「ぺんころ出帆」から最近初めて出版された本、『透明な魚のふしぎな冒険』も、まさに旅先での人や魚、風景との出会いを通して完成した作品です。
自分たちらしい、いろんな形
提供:坂本夫妻 九州最高峰1936m屋久島宮之浦岳山頂から
2025年1月に九州一周を終えた二人。
現在、康介さんは物語や絵画、楽曲といった作品づくりに専念し、物語は本だけでなく紙芝居にもして、佐賀県内の小学校で読み聞かせを行っています。また、近所の小学校に協力してもらい、物語のテーマソング「旅のありか」を子どもたちが歌う取り組みも行いました。
玖美さんはフリーのパティシエとして、複数のカフェやイベントなどでお菓子を提供しています。お客さんや旬の食材、イベントなどに寄り添いながら、お菓子の家づくり教室やスイーツのコース料理、皿盛りスイーツなど、店舗を持たないからこそ形にとらわれないで新しいものを生み出せる"遊び"の部分を楽しんでいるそうです。「(店舗を持たないことに対して)最初はどうなることかと思いきや、これでよかったんだ」と玖美さんの笑顔がにじみました。
提供:坂本夫妻 アトリエたじのお菓子や出店の様子
2026年6月にはアメリカ人のヨット仲間と共に、太平洋半周の旅へ出て、まずはアラスカに向かう予定の二人。それまでの期間は現在の活動を広げていく計画です。
短編物語は英語に訳してアラスカ旅にも持っていき、「僕ららしい奇想天外なやり方で活動したい」と話します。
提供:坂本夫妻
いずれはヨットで個展を開いたり、山の古民家を表現の場として活用したりと、二人の夢は尽きません。「いつかは僕らのヨットや古民家が、誰かにとって居心地のよい、自分が自分でいられる"ホーム"になってくれたらこれほど嬉しいことはない」―。
取材を終えて
夢を語り、夢と帆走する坂本夫妻
常に、"ワクワク""ドキドキ"を追い求め、一歩踏み出しながら、さまざまな形で表現してきた二人。
「会社員時代の5年前には想像もしていなかった生活。でも、子どもの頃に想像していたような、夢に見ていたような生活。それ以上のことができている」という言葉が印象的でした。これまでの想いや出会い、行動が二人の道を形づくり、お金には代えられない財産になっているのだと感じます。
自身の生き方や夢を楽しそうに語る二人を前に、"大人だからこそ夢をみる大切さ"を考えさせられました。
これからも、二人の夢を乗せた「ぺんころ号」は冒険の海へと出航します。
| 公式SNS | 【Instagram】 店舗のないお菓子や アトリエたじ:@atelier_taji 旅する出版社 ぺんころ出帆:@pencoro_books |
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