佐賀の街なかで、新たな出会いと友情を育むトーク企画『トモダチ100人できるかな?』。
佐賀の地酒を酌み交わしながら繰り広げられるこの企画の第七回目のゲストは、鳥栖でエスニック料理店を営む【田代 康介さん】と【妻:冬美さん】にお越しいただきました。
沖縄の離島でのキャンプ生活、東京での挫折、そして料理人としての道を切り開いていった波乱万丈な人生から、エスニック料理への情熱まで、様々な話を伺いました。
佐賀の銘酒で乾杯!夏にぴったりの一品
今回のお酒は、東鶴さんから造られたスパークリングの日本酒、【蝉しぐれ】。
シュワっと広がる爽快感が心地よく、この夏にぴったりの一品です。
康介さん
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うわ、これフルーティ!ぶどうみたい。
冬美さん
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甘くて飲みやすいです!最近ずっと暑かったからのどごし良くておいしい。
おつまみにはさっぱりなピクルス
おつまみには、JONAI NORTHで販売している【招かれる灯火】というピクルスをチョイス。コリアンダーの爽やかな香りと蜂蜜の柔らかな甘さが、懐かしさを呼び起こす味わいです。
康介さん
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普段ピクルスはあまり食べないけど、これはお酒に合う!
冬美さん
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パッケージも可愛いし、おつまみとしてもいいですね。
居酒屋のバイトから始まった料理の道
霍見
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料理を始めたのはいつ頃でしたか?
康介さん
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中学を卒業してすぐですね。高校には行かず、居酒屋でバイトを始めました。包丁を初めて触ったのもその頃です。料理って意外と楽しいなと感じました。
その後、父がたまたま新聞で見つけた料理学校に通いました。フレンチ料理屋のオーナーをされている方が校長をしていて、座学5ヶ月、実習7ヶ月という本格的なカリキュラムで、フレンチやイタリアンの基礎を学びました。
馴染みのない調味料が開いた世界
霍見
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最初はイタリアンで研修され、卒業後にフレンチのお店にいかれたということで、居酒屋でバイトをされていたときに作っていたものから、かなりジャンルが変わりましたよね。何か難しかったことなどはありますか?
康介さん
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そうですね、フレンチの世界に16歳で入りましたが、最初は"バルサミコ酢?なにそれ?みたいな感じで馴染みがないものばかりでした。でも、食べ続けるうちに"あれ、美味しい"という感覚に変わっていきました。
食材の名前も使い方も分からないなかで、基礎を学びどんどん新しい味の世界に引き込まれていったと言います。
人生を変えた、1軒のベトナム料理店
霍見
- フレンチでは二年半働かれたとのことですが、その後、どんな転機がありましたか?
康介さん
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友人と外食にハマっていた時期に、福岡・大名のベトナム料理屋さんに行きました。あれは衝撃でしたね。"こんな料理あるんだ!" って。料理を "作る側" としても、めちゃくちゃ惹かれました。
それがエスニック料理との最初の出会いでしたが、すぐにエスニックの世界に入ったわけではないよう。
フレンチのお店を辞めた後、田代さんは料理のいろいろな出会いを求め「旅に出たい」という衝動に駆られ、沖縄へ向かいます。そこで始まったのが、想像を超える冒険でした。
沖縄の離島で"キャンプ生活"スタート!?
康介さん
- 旅に出たくなって、親戚のおばさんを頼り、沖縄に向かいました。でも自由がなくて(笑)、思いきって"座間味島"って離島に渡りました。
霍見
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フットワークが軽いですね。
康介さん
- はじめは"3日くらいの予定"でしたが・・・現地につくなり、台風が直撃して帰れなくなったんですよ(笑)。そのまま予定が変わりしばらくキャンプ生活をすることになったんです。
島で出会ったおじさんが「ここに住めばいいさ〜」とテントに住ませてくれ、地元の商店でバイトしながらのサバイバル生活がスタート。3日滞在の予定がなんと1ヶ月半続いたそうです。
霍見
- ええっと・・何から突っ込んでいいのか・・・(困惑)そのおじさんは全く知らない方だったんですか?
康介さん
- そうですね、"ファイヤー二郎"と呼ばれるファイヤーダンスを特技としている方です。
霍見
- あの、ハワイとかでやってるような?
康介さん
- はい、棒に灯油を染み込ませた布を巻きつけて火をつけたものを海辺で振り回すようなユニークな方でした。
今思えば、あれがすごく大きな経験でしたね。
霍見
- ファイヤーダンスも教わったり・・?
康介さん
- 一応習いました(笑)
冬美さん
- 私はまだ出会う前だったから見たことないんですよね(笑)
ファイヤー二郎さんとの出会いが、田代さんのその後の人生観にも大きな影響を与えることになったそう。
挫折と成長の東京時代
沖縄での冒険の後、田代さんは東京へ。しかし、そこでの経験は彼にとって厳しいものでした。
康介さん
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沖縄で真っ黒に肌が焼けて、黒Tにサンダルのラフな格好で行ったら、周りの反応が冷たくて...。バイトの面接行っても"ホームレスが来たのか"みたいな目で見られて(笑)
この経験から、東京での生活は半年ほどで終わりを告げ、田代さんは福岡に戻ることを決意します。そして、あの衝撃を受けたベトナム料理屋さんで働くことになったのです。
運命の出会いから家族の誕生へ
ベトナム料理屋さんで働き始めた田代さんにとって、そこは技術だけでなく人生の伴侶との出会いの場所でもありました。
康介さん
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出会いと言ったら嫁と出会ったのもそこで。
霍見
- えー!凄い!常連さんだったとか?
冬美さん
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そうですね、お客さんとして知り合ったけど、たまに手伝いに入ったりとかもして。
康介さん
- 自然と仲良くなって、気づいたら一緒にいましたね。
結婚され、お子さんにも恵まれたタイミングで退職し、人生の選択に悩みながらも、ふゆみさんの地元である鳥栖で自分のお店をオープンすることに。
エスニック料理店に込められた想い
田代さんのお店のコンセプトは、沖縄でのキャンプ生活の経験も影響しています。
霍見
- お店はどんなコンセプトですか?
康介さん
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"自分が美味しいと思うものを提供する"というのをモットーにしていて、それって何だろうなと考えたところ、南国系な雰囲気がある料理を出していきたいと思いました。
冬美さん
- "手作り"というところにもこだわっているよね。
お客さんから「落ち着く」と言われることも多いそうです。メニューは定期的に変え、新しいものに挑戦する姿勢も持ち続けています。
イチオシは顎が外れるくらい大きなジャークチキン。肉好きとしては是非いただきたいものです・・・!
康介さん
- "考えるな、感じろ"と昔、研修先のシェフに言われたんですよ。それが今も自分の料理の軸です。感覚でメニューが降ってくる感じです。
霍見
- 天才とはこういうことなんでしょうか・・・・
こらからの課題は?
康介さん
- 今1人でやっているので、やはりそこで人を雇わないといけないのかとかそういった点もまだ課題が多いですね。
霍見
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調理もホールもお一人でされているんですか?
康介さん
- 完全にワンオペです。だから日曜は必ず休んで、子どもと全力で遊びます。最近は本気で野いちご狩り行きました(笑)
冬美さん
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鎌持って駆け回ってね(笑)それを少し離れたところで見守っていました。
霍見
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まさに"生活力のある父ちゃん"ですね!
康介さん
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それ、ファイヤー二郎の影響かも(笑)
夢は世界中の人に自分のエスニック料理を味わってもらうこと
霍見
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これからの目標や夢はありますか?
康介さん
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外国の方などいろんな人に食べてもらいたい、味わってもらいという夢は強く持っています。
常連の中には外国の方もいるそうで、特に野菜がたくさん取れるヘルシーさが評価されているとのこと。
佐賀の魅力、再発見!
沖縄の離島での偶然の出会いから始まった波乱万丈な人生経験が、今の南国系エスニック料理店につながっている田代さん。一人でお店を切り盛りしながらも、常に新しいメニューに挑戦し続ける姿勢は、「考えるな感じろ」という言葉に導かれているのかもしれません。
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