佐用姫像とは...
唐津市厳木町の「道の駅 厳木 風のふるさと館」にそびえ立つ白い女性像のこと。佐用姫伝説として、羽衣伝説、浦島太郎伝説と並んで、日本三大伝説の一つに数えられている。ここでいう佐用姫は、「松浦佐用姫」と呼ばれ、肥前の国に伝わる伝説の主人公である。
各地に佐用姫像は点在するが、厳木の道の駅にある佐用姫像は、時計回りに20分ほどで一周するしかけになっているという。
【松浦佐用姫】
宣化(せんか)天皇2年(537)大伴狭手彦(おおとものさでひこ)は朝廷の命を受け、任那・百済を救援するため、軍を率いてこの松浦の地にやってきました。狭手彦は名門大伴氏の凛々(りり)しい青年武将でした。
物資の補給や兵の休養のため、しばらく松浦の地に軍をとどめている間に狭手彦は土地の長者の娘の「佐用姫」と知り合い夫婦の契り(ちぎり)を結びました。
やがて狭手彦出船の日、別離の悲しみに耐えかねた佐用姫は鏡山へ駆け登り、身にまとっていた領巾(ひれ)を必死になって打ち振りました。
軍船は、次第に遠ざかり小さくなっていきました。狂気のようになった佐用姫は、鏡山を駆け下り栗川(くりがわ=現在の松浦川)を渡って海沿いに北へ向かって走って行き、やがて加部島(かべしま=呼子町)の天童岳の頂き(いただき)に達しましたが、遂に舟が見えなくなるとその場にうずくまり、七日七晩泣き続けてとうとう石になってしまったと言われています。
(唐津市HPより)