スーパーも飲食店もない離島に一体ナゼ?若いきょうだいが島に開いた「Selfish 加唐島Café 後編」

スーパーも飲食店もない離島に一体ナゼ?若いきょうだいが島に開いた「Selfish 加唐島Café 後編」

佐賀県最北端の島、加唐島にある「Selfish 加唐島Café」。民宿が一軒あるだけで、飲食店が一つもなかった小さな島に2022年9月、オープンしました。
その背景にあったのは、福岡市出身のきょうだい姉・井川えりなさん(26)と弟・真太郎さん(22)の島に対するあつい想い。島民に助けられながら古民家を自力でリノベーションしてできたカフェはドラマがつまった場所でした。

この記事(下)は店長のえりなさんのインタビューをレポートします。店内とメニューを紹介した(上)の記事のチェックもお忘れなく。

加唐島の基本情報と行き方はこちらの記事を参考にしてください。

子どもの頃から島は「天国」だった

selfishcafe02_01.jpg

そもそも、福岡出身のえりなさんと真太郎さんは加唐島とどんなつながりがあったのでしょうか。

実は、加唐島は母方の祖母のふるさと。母親のゆかりさんも中学生までこの島で育ちました。しかし島には高校がなく、母親が高校に進学すると同時に、祖母も家を残して福岡市に移住しました。その家がのちの「Selfish 加唐島Café」になります。えりなさんと真太郎さんはそこに小さいころから年に2回ほど遊びに来ていました。

周りに「島はコンビニないの?〇〇ないの?」などと不便がられる中、えりなさんは「不便だから好き。その分の豊かさがある」と断言します。「遊びと言ったら海がある山がある畑がある。すでにある自然のもので遊べるし、それが天国でした」。魚も野菜も美味しい島は、まさに「ご褒美」だったと言います。

島で驚くほどの体調改善

selfishcafe02_02.jpg

そんな中、体が弱かった弟の真太郎さんは「からつ七つの島活性協議会」が主催する「島留学」の制度を使って、島留学の一期生として中学3年生の時に加唐島へ転校することを決意します。

もともと福岡の学校でもクラスのムードメーカーだった真太郎さん。しかし、福岡ではすぐに風邪を引いたり感染症にかかったり、部活では何度も骨折したりと一年の半分ぐらいは体の不調で学校を休んでいたそうです。学校に行きたくても行けない状況に「嫌気がさして、焦りもあったと思います」とえりなさん。
体調が悪すぎて、学校から一度長期で安静にするように言われたこともありました。その時に島で療養することにした真太郎さんは、島で体調がみるみるうちに良くなった経験をしました。

自分を変えたいと思った真太郎さんはネットでたまたま島留学の制度を見つけ、自分から応募を決めました。
祖母と一緒に加唐島に渡り、中学3年の1年間を島で過ごした真太郎さん。島の水や空気が体にあったのか、驚くことに1年のうち一度も学校を休むことはありませんでした。

えりなさんは「私も母も『本当は仮病使ってたんじゃないか』って疑うぐらい(笑)真太郎の体の変化は信じられませんでした」と当時を振り返ります。そんなことがあり、真太郎さんに「自分を変えてくれた島に恩返ししたい」という想いが生まれます。

一方、えりなさんも大好きな島に「もっといろんな人がきてほしい」、「島に来るきっかけがあったらいいな」と考えていました。

コロナ禍で背中を押してくれた島民のことば

selfishcafe02_03.jpg

「いつかカフェを開きたい」という想いは、えりなさんと真太郎さんの母親のゆかりさんがずっともっていた夢でした。

ある日、島留学でつながった活性協議会の担当職員とゆかりさんの会話がきっかけで、えりなさんたちは加唐島をアピールするために単発の1日カフェを開くことに。「カフェで島おこし」に火が付いたえりなさんたちは、そこから本格的にカフェOPENに向けて動き出します。
いざ、カフェをするといっても、家族に飲食店の経験者はいません。ゼロからのスタートでした。

2020年4月。

初めて緊急事態宣言が出された時、えりなさんたちは福岡から資材を運ぶため、ちょうど加唐島にいました。世の中がコロナで混乱していた時期。人口が100人もいない小さな島で、福岡に帰ってまた島に戻ってくることは考えられませんでした。募ろうとしていたクラウドファンディングも先が見えず見送ることになりました。

ある雨の日、えりなさんたちが悩みながら外を歩いていると、ある島民が車の窓越しに「応援しとっけんな!頑張れよー!」と声をかけてくれました。「それで私たちも泣いて、その一言で俄然ファイトが湧いて頑張れました」とえりなさん。

3、4ヶ月ほど島で「軟禁状態」になりながらも、スーパーもない島で毎日釣りをして食料を調達し、時には船員さんにおつかいを頼みながら、とりあえずあるものを使ってカフェのリノベーションに取り掛かりました。

selfishcafe02_04.jpg

カフェは築100年の古民家。業者に頼んだのは電気工事のみ。畳をはいで、フローリングに、また、壁を壊してカウンターに--。島民の知恵と力を借りながら、少しずつ形にしていきました。えりなさんは「自分たちだけでやっていたら、今もOPENできていない(笑)島民がいたから今がある」と話します。

selfishcafe02_05.jpg

このようにしてつくられた「Selfish 加唐島Café」には、随所に思い出やドラマがつまった手作りの結晶たちを見ることができます。

カフェの誕生で生まれた変化

selfishcafe02_06.jpg

カフェができてからは、島外の人が島に来るきっかけになったのはもちろん、それ以外にも意外な変化がいくつかありました。

まずは、島の子どもたちにとって島を自慢できる場所が増えたこと。また、自慢のカフェの店員と仲良いところも子どもたちの誇りになっているということです。

さらに、島外に移住した家族が島に帰ってくるための居場所にもなっているようです。特に、すでに島の家を解体した人の中で、かなりの人々がカフェをきっかけに帰省できるようになりました。どれも「すごい嬉しかった」とえりなさんは話します。

店長のえりなさんが島でやりたいこと

selfishcafe02_07.jpg

えりなさんは現在、日々のカフェの運営以外にも、カフェ主催の子ども向けイベントに力を入れています。
というのも昨年1年間、島に中学生がいなくなって中学校が休校になった島の様子を見て、子どもが島の元気に直結しているということを実感し、島留学の重要性を確認したからです。

島留学一期生の弟の真太郎さんの変化を目の当たりにした者として、加唐島への島留学という選択肢を知ってもらうためにも、子どもたちが参加して交流できるイベントを定期的に企画しています(イベント情報は公式Instagramに随時更新)。

例えば夏に何度か開催予定の「トマトすくい」。夏祭りの季節に子どもに楽しんでもらえるだけでなく、島の野菜の魅力も自然と伝わるイベントです。このように楽しいだけでなく島の魅力も発信できるイベントを準備しています。

もう一つのテーマは、客がカフェに来るだけでなく、カフェをきっかけに"何もない"と言われる島の異空間を楽しんでもらうための発信です。

午後に島を出るフェリーは1時か4時半しかありませんが、多くの人は1時の便で帰ります。4時半に帰る場合でも「余った時間に何をしたらいいかわからない」という人がほとんど。えりなさんはむしろ、「毎日忙しく生きているみなさんに自然豊かな島でリフレッシュして"何もない"を楽しんでほしい」と語ります。

selfishcafe02_08.jpg

カフェの店長以外にも、クリエーター、団体職員、ライフジャケットインストラクターなど様々な肩書を持つえりなさん。島のために休む間を削ってでも挑戦を続けています。多くの人の好き嫌いを克服してきた、島の甘くて新鮮な無農薬野菜をブランド化したい--。島にラベンダー畑を作りたい--など夢は尽きません。

ストーリーの続きは加唐島で

selfishcafe02_09.jpg

「島で一番綺麗に海が見わたせる場所」といわれるカフェのテラス席で尽きないストーリーを夢中で聞いていると、いつの間にか3時間が過ぎていました。実は記事に盛り込んだ話もその一部に過ぎません。「Selfish 加唐島Café」の島への愛や島民の温かさ、島の魅力があふれた時間でした。

まだまだいろんなドラマを聞きたいところですが、今回はそろそろお別れの時間です。続きはまた「Selfish 加唐島Café」で!

店舗名 Selfish 加唐島Café
住所 唐津市鎮西町加唐島666−1
営業時間 9:00〜17:30
定休日 金・土・日・祝日
現在は一日10組限定。営業時間は当日変更する場合があります。
最新情報は公式Instagramをチェック!
公式SNS Instagram @taishinmaru3033
公式LINE Selfish 加唐島Café
地図

ライター

牟田友佳 (Muta Yuka)

長崎市育ち。2024年4月に夫の転勤で佐賀県に移住。 新聞記者を経て、フリーランスとして細々と活動中。 自然、おいしいもの、旅...

このEDITORの他の記事を見る

ページの先頭に戻る