わずか500gほどで生まれた藤木家の末っ子、希望(のぞみ)さんの一番古い記憶は多布施川でのバーベキュー。6歳の頃だったと振り返る。当時から算数がとても嫌いだったという。どうしても興味が持てなかった。
自分自身がいわゆる障がい者だということを認識したのは小学3年生だったらしい。
そんな彼女はいま卓球で国体に出るほどの実力の持ち主だ。
はじめはサッカーをしていた兄に影響を受けサッカーをやりたいと思っていた。
しかし先生が怖かったという理由で断念。
その後その兄が卓球を始めたため、今度は卓球に興味を持つようになっていた。
彼女が中学校に入るころ部活動を始めることにした。お母さんは合唱部を勧めたという。
体力的にも不安を抱え、視力も先天的に良くなかった希望さんが卓球をしても挫折してしまうのではないかと考えたからだ。合唱部の方が多くの成功体験が得られるのではないかと思った。
だが希望さんは卓球部を選んだ。
その選択は多くのことを彼女にもたらしてくれた。先輩後輩に象徴される縦社会の経験や体力、そして人との出会い。二人は人の縁に恵まれたと口をそろえる。
先生と成人式の時に再会した際にまだ卓球を続けていると伝えたらとても喜んでくれたという。
今でも週2回練習を行い、一昨年には国体で金メダルも獲得した。
現在彼女は大和町にある就労継続支援事業所「cafe ReLife」で接客や雑貨作りなど様々な仕事を行なっている。職場はとても楽しいと彼女は笑顔になった。
「彼女はとても適応力があって、困った時はお互い様という優しさがあります」
一緒に働く支援者の方がそう話してくれた。
まるで中学生のようにも見えるその外見からは、正直全く障がいを持つようには見えない。
だからこその困りごともあるようだ。
たとえば、卓球の練習の帰り夜間に1人で歩いていると警察に呼び止められてしまったことがあったという。
しかしうまく自分のことを説明することができなかった。幸い、近くに顔見知りの人が営んでいるコンビニがあったため、そこにかけこみ身元の証明をすることができた。
お母さんによると、社会や行政の取り組みによってハード面で困ることは以前に比べ少なくなくなってきたらしい。しかし希望さんのような外見ではわかりにくい障がいを持つ人へのアプローチなど、ソフト面での理解についてはまだまだ十分ではないと感じるという。
たとえば妊娠や出産をした経験のある人が、他の妊婦さんの困りごとに気がつくことができる可能性は高い。自らも経験したことがあるからだ。
障がい者の立場にたって相手を理解するための経験や情報など、社会にはまだまだ多くのきっかけが必要だということであろう。
またスマホがお守り代わりにもなってきているという。たしかに困ったことがあれば、電話をかけたりすぐできるのは安心につながる。
また希望さんは困った時に助けてもらうならば、やはり知っている人が良いという。
さまざまな交流を通じ、先ほどのコンビニのようないざという時に駆け込める場所が増えていくのは当事者にとっても心強いといえよう。
「何かの思い込みによって障がい者のひとがのけものになったり、違う風にみられるのは悲しい。垣根がなくなっていって欲しいです」
希望さんは最後にそう話してくれた。
憧れの石川佳純選手のような卓球選手になりたい。
希望さんはそんな夢を抱きながら歩み続ける、ひとりの女性である。