利用者主体の介護を実現する─過疎・高齢化が進む松梅地区を「プロ」として支える黒岩さんの挑戦

利用者主体の介護を実現する─過疎・高齢化が進む松梅地区を「プロ」として支える黒岩さんの挑戦

佐賀市北部の中山間地域、松梅地区には高齢者たちが生き生きと過ごすアットホームな施設「まつうめデイ」があります。
立ち上げたのは、同地区在住の黒岩功さん(51) ※2026年2月21日以降は52歳。長年介護の現場で働いてきた中で抱いてきた「介護の現場はもっとこうあるべきでは?」という想いを実現させるため合同会社「結」を立ち上げ、2024年2月に「まつうめデイ」を開設しました。

この記事では、これまで黒岩さんが見てきた介護業界の実情やその中で抱いてきた葛藤、起業に至った熱い想い、今後の展望などをご紹介します。

地域課題や現場での葛藤から起業へ

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まつうめデイの外観(黒岩さん提供)

「まつうめデイ」は、佐賀市大和町の松梅地区にある地域密着型通所介護(小規模デイサービス)で、介護や支援を必要とする高齢者が日帰りで、食事や入浴、機能訓練などの介護保険サービスを受けることができる施設です。1日最大15人を受け入れることができます。

過疎・高齢化が進む松梅地区ですが、これまでは医療機関や介護施設が一つもなく、サービスを受けるためには隣町の富士町や市街まで出ていく必要がありました。

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黒岩さんがそんな状況を知ったのは、佐賀市大和町にある介護施設で働いていた時のこと。
地元に施設がないということは、地元のリアルな情報が入ってくるところもないということです。地域の高齢化が進むと人と地域とのつながりが希薄になりがちです。特に高齢の方は慣れ親しんだ方々とのコミュニケーション機会が、暮らしを続ける中での大切な要素の一つになります。地元の情報をキャッチしたり発信したりする地元の拠点として、地域とともに歩む事業所が必要だと思ったんです」

熱いまなざしで語る黒岩さんは、これまで介護業界に30年近く従事してきました。松梅地区の現状を知ったのは、ちょうど黒岩さんが思い描く介護業界の「あるべき姿」の輪郭がはっきりしてきた時期でもあったといいます。

組織に属していたときは、自分が思う介護の形との乖離が大きく、たくさん葛藤してきました。我々専門職は、本人やご家族の思い、これまでの生き方や価値観に沿い、本人を主として伴走支援するべきであり、専門職側が主体の立場にいてはいけないと考えています。しかし、それらはあまり汲み取らずに、その時の本人の病状や体の状況だけを切り取って、専門職や事業所視点だけで対応方法を決めたり、価値観を押し付けてしまうような現場対応を幾度となく見てきました。
例えば、これまで70年間毎日食後のケーキを楽しみにして生きてきた方が、血糖値が高いから『甘いものを食べたらダメ』と一方的に言われてしまう。そこに70年間の本人の思いの汲み取りはない。私はこれは違うと思うんです。
大切なことは、医療・介護の専門的な見地と本人の思いをどういう形で組み上げてうまく折衷案に持っていけるか。ケーキを食べることをやめなくてもいいという安心感を担保し、本人の思いを汲み取りつつ、専門職としてどう考え対応するか。ここが我々の腕の見せ所だと思います。専門職として課題だと思うポイントへの手立てを考え、折衷案を提案して実行していくことで、お互いがwin-winの結果に着地する。これが大事だと思っているのですが、このプロセスを重要視しない事業者や専門職が少なからず存在します。現場や組織の職員としては『ここまでしかやりません』『専門の考え方はこうです』とラインを引いてしまう方が確かに楽です。しかし、私が考える業界のあるべき姿は、プロとして人々の心の中の思いは何なのかを知ることから始める。その人の思いを受け止め共感できた関係を礎として、当事者とその家族とともに課題に向き合い、考え、具体案を提案し、実行し支えること。これが業界の本質ではないかと考えています

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黒岩さんは、そのような「利用者が常に主体者である介護の形」が実現可能なのかどうか、「どうしても試したかった」といいます。

「その人の暮らしを支えるという観点で若干の"手間"が皆さんの安心と信頼につながっていくなら、それを実践することで他の事業者さんとは違う"きらり"と光る部分になれると思う」。そんな想いから起業を考えるようになりました。

支援金が不安を解消

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起業するにあたり、黒岩さんがまず取り組んだのはケアマネジャーとのパイプを作ること。介護保険サービスを利用する場合、利用者は必ずケアマネジャーを通して事業所とつながるため、事業所をケアマネジャーに認識してもらうことは絶対条件です。

黒岩さんは、大和の介護施設の職員として働きつつ、大和地区や富士地区、その近辺のケアマネジャーに「黒岩がどんな考えを持っているのか」を示してきたといいます。

一方で、開業するにあたって不安なことも二つありました。

一つは、黒岩さんが描いてきた想いや理念が「絵空事で実現できないものなんじゃないか」ということ。実際、親にも「それは綺麗事」と言われたそうです。

もう一つは、事業の資金繰り。実際に経営として成り立つのかどうか不安がありました。

それでも、「思い描いている形が必ずいい結果を生む。是が非でも実現したい」。そんな強い信念を貫き、2023年2月に前の職場を退職。起業に向けて本格的に走り出しました。

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ある日、黒岩さんはネットで佐賀県起業支援金の存在を発見。地域課題の解決を目的とした起業と資金をサポートするもので、採択されると最大200万円補助されるという内容でした。すでに募集期間が始まっていましたが、これまで作っていた事業計画書を再度整理し直し、何とか期日内に提出することができました。

結果、黒岩さんの事業は採択。「県の厳正な審査を経て採択されたということは、私の考えが絵空事ではなく『実現可能な事業』だと、公から客観的な評価をもらえたことが一番うれしく、ありがたかった」といいます。

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資金面でも大きな支えとなったようです。「この200万がなかったら多分僕ダメでした。金融機関は事業計画に基づいて、極めてシビアに必要な額のみ融資するというスタンスでしたので、余裕を持った資金融資を受けることは困難でした。開所して半年ぐらいは思いの外、利用者数が伸びずに会社の現預金が1万6000円までになった時もあります。事業規模が1400万円だったので、200万は本当に大きかったです」

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支援金を活用して購入した備品たち

プロの仕事が生む好循環を実感

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ギターを弾く黒岩さん(黒岩さん提供)

最近「まつうめデイ」は初めて定員の15人を達成しました。定員に近い日も増えており、思い描いていた介護の形が地域やケアマネジャーにも評価されていることを感じているそうです。

「うちは1頼まれたことを1.5ぐらいで返すことをずっと繰り返してきました。そしたら開設して7、8ヶ月たった頃からグッと利用者の紹介が増え、開設して1年2ヶ月が経ったタイミングで定員10人から15人に増やしました。それでもさらに定員に達することができたので、やってきたことが正しかったんだと感じています」

このように事業を軌道に乗せることができたのは、職員の意識も大きく関わってるようです。

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「うちは、介護や医療業界で歯痒い想いをしてきた職員が集まっています。介護業界では、例えば午前中に20人風呂に入れる、1時間以内に全員食事を食べさせる、何時までに全員の記録を終わらせる、などといったことを"仕事"だと思っている人がいます。しかし私にとってこれは"業務""作業"です。"仕事"は型にはめたようなものではなく、一人ひとりの本当のニーズを掘り下げて、プロの視点で対応するサービスのことです。面接では私の想いをお伝えし、実際に"プロ"として働きたい職員が集まっているため、同じ方向を向いて仕事ができるんです」

実際、「まつうめデイ」では"業務""作業"にあたる部分は、デジタル技術を活用しながら効率化し、"仕事"、すなわち個別のニーズを汲み取って対応する「サービスの部分を手厚くすることで、職員のプロとしての誇りやモチベーションにもつながっているといいます。また、職員が同じベクトルで動けるからこそ少人数でも仕事が回り、給料が低いといわれる介護職でも仕事に対する対価を還元することができているそうです。

"仕事"ができる環境、"プロ"として働ける環境は非常に重要であり、職員の満足感や達成感は絶対に外せない鍵です。利益追求ではないこのやり方が結局、事業所や経営にとってもいい流れに結びついていることを実感しています」

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生き生きと時間を過ごす職員と利用者ら(黒岩さん提供)

地域福祉を構築し「暮らし・人生を支える」

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黒岩さんの事業イメージは、介護だけでなく「暮らし・人生を支えること」。「まつうめデイ」はあくまで"足がかり"であり、将来的には、合同会社「結」として介護保険サービスだけでなく、地域福祉サービスの仕組みを構築していきたいといいます。

そのためには、行政や地域のボランティアらと手を取り合いながら、介護保険によるフォーマルサービスやそれに上乗せした介護のサービス、それ以外のインフォーマルサービスをうまく組み合わせていきたいそうです。

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(黒岩さん提供)

社会福祉士の視点も活かしながら、介護にとどまらず広い意味で松梅地区を支えようとする黒岩さん。「地域福祉を構築していくことがこの地域における当社の存在意義だと思っている」と柔らかい笑顔で語るその目には、プロとしての誇りと力がこもっていました。

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